「 程中国大使、許し難い内政干渉 」
『週刊新潮』 2012年5月24日号
日本ルネッサンス 第510回
私の手元にとんでもない手紙の写しがある。日本の国会議員多数に東京都港区元麻布の中華人民共和国大使館から送られたA4用紙5枚のワープロ打ちの手紙である。
この5月8日付の程永華大使の手紙には、チベットとウイグルに関して多くの事実に反する事柄が書かれている。折しも日中韓首脳会談で北京を訪れた野田佳彦首相に対する温家宝首相の発言と合わせてみると、中国の日本に対する発言はこのうえなく無礼で非常識だ。
大使は日本国内でチベットとウイグルに関して「後ろ向きの動きがみられ、中日関係の妨げとなってい」ると書いている。背景には、3月末から4月にかけてチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相が来日し、5月14日から17日まで東京で開催された「世界ウイグル会議」出席のためラビア・カーディル議長らが来日したことがあるだろう。
それにしても程大使の手紙には嘘が目立つ。チベットでは、中国政府によって「チベット族の伝統的風俗習慣が保護され、発展し、チベット語が広く学習、使用され」てきたと自画自賛し、「信仰の自由が十分尊重され、チベット仏教の活動の場が1,780カ所余り」もある、「チベットが歴史上最良の発展期にあることを見て取ることができる」そうだ。
ウイグルに対しても、中国政府は「民族の風俗習慣を十分尊重し」「各少数民族文化と宗教文化を保護している」と主張する。
そのうえで程大使は、ダライ・ラマ法王を「ダライ」と呼び捨て、「宗教を隠れ蓑にして、長年、中国の分裂を企み、チベット社会の安定と民族の団結を破壊しようとする政治亡命者であり、『チベット独立』を企む政治グループの総頭目である」と激しく非難する。ウイグル代表のラビア・カーディル氏も「犯罪人」として断罪し、世界ウイグル会議のドルクン氏に至っては「多くの刑事事件とテロ犯罪にかかわり」「国際刑事警察機構(ICPO)からも指名手配」されていると主張し、世界ウイグル会議はテロ組織の統合体だと根拠も示さず中傷する。
宗主国のつもりなのか
チベットが史上最良の時期にあるなら、なぜ、いまも、若い僧侶らが焼身自殺を続けるのか。なぜ新疆ウイグル自治区では18歳以下の若者、学生、公務員などがイスラム教のモスクへの立ち入りを禁止されているのか。それで民族独自の宗教や文化が保護されていると、言えるのか。中国共産党は答えられないだろう。それでも程大使はチベット亡命政府や世界ウイグル会議は中国の分裂を企む反中国組織だと決めつける。
そのうえで日本の国会議員にこう要求するのだ。「ダライとロブサン・センゲの中国の分裂を図る反中国の本質をはっきり見抜き、『チベット独立』勢力を支持せず、舞台を提供せず、いかなる形でも接触しないことを希望する」と。ウイグルに対しても同様に本質を見抜いて、一切の援助をするなという。
中国は日本の宗主国のつもりなのか。わが国の政治家に、中国政府がこれをしてはならない、あれをしてはならないと、命令すること自体が内政干渉で、許されない。この件で憤慨しているのが衆議院議院運営委員長、民主党の小平忠正氏である。
「ひと月以上前ですが、センゲ首相来日の折、超党派の議員が議員会館内の国際会議場に首相を招いて意見交換することを、中国大使が耳にしたのでしょう。大使の命を受けた参事官が私の所にきて、会を中止せよと言いました。参事官が日本の国会議員に指示すること自体、無礼です。中国がチベットを問題視しているのは中国の問題であって、日本は日本です。日本は自由の国で、全体主義の国ではありません。日本の国会議員が自由な政治活動をするのに、なぜ、中国の許可が必要なのか。私は内心、何言ってんだと思いました。それで日本は自由の国だということを、大使に伝えてくれるよう、参事官に言いました」
小平氏の主張は立派にスジが通っている。ここで少々説明が必要だろう。議員会館には幾つもの会議場があるが、これらの使用の可否決定権は議運委員長にある。そのことを知悉していた程大使はセンゲ首相と議員の会を中止させるには会場を使えなくすることだと考えて、小平氏に圧力をかけようとしたのだ。安倍晋三元首相が驚きの面持ちで語った。
「とんでもない内政干渉ですが、中国側がそこまで日本の国会の細かいルールを知っていたことの方が驚きです。議員でさえ、知らない人もいるのではないでしょうか」
21世紀のあるべき価値観
だが、なりふり構わぬ程大使の圧力も虚しく、91名もの超党派議員(代理含む)がセンゲ首相との意見交換会に集った。懲りずに程大使は再び圧力をかけるべく前述の手紙を多数の国会議員に送りつけた。中国にとって重大な意味をもつこの件は北京でもとり上げられた。政府関係者の話である。
「北京に着くと温家宝首相が日中の少人数による会合を持ちたいと申し込んできました。論点は3つ、ウイグル、尖閣、北朝鮮でした。温首相はウイグル問題から入ってきました。国際テロリストとして指名手配中の人物を入国させたのは怪しからん、具体的改善策を示せ、同問題は中国の核心的利益に関わるもので、見過ごせないというわけです」
対して野田首相は日中は政治体制が異る。法律上問題がなければ政府は特定個人の入国に関知しない。この相違を中国には理解してほしいと述べ、1997年以降、日中間で開催されていた「日中人権対話」を持ち出し、普遍的価値観を尊重すべきだと主張したという。
野田首相はきちんと反論したのだ。対して温首相はこう切り返した。
「(世界ウイグル)会議が日中2国間会談の翌日でよかったですね」
日中2国間会談は13日、世界ウイグル会談は14日である。温発言は、日中2国間会議当日に世界ウイグル会議が開催されていれば、日中会談は開かれなかったかもしれないとのニュアンスだったという。事実、胡錦濤国家主席は韓国の李明博大統領と会談したにも拘らず、野田首相とは会談しなかった。これらのことは、中国の自由や人権、民主主義に対する忌避感を示すもので中国の陰湿さと異質さを印象づける。人権や自由、民族自決を踏みにじる中国の立場など、国際社会は支持していない。だからこそ、日本は自信をもって、21世紀のあるべき価値観を守り続けていけばよいのだ。
温首相はまた、野田首相に尖閣諸島の領有権を主張した。中国側の雰囲気は「相当懸念すべき段階にきている」との、切迫感を与えるものだったと関係者は語る。同島を日本固有の領土だと明言し、中国の海洋活動こそが日本の国民感情を刺激していると明確に述べた野田外交を評価し、尖閣諸島防衛策を実行するよう求めるものだ。